2月観たもの考えたこと

仕事で忙しくしていたら4月になってしまった…。

 

「夜明けのすべて」

いい映画だった。

藤沢さんは上白石萌音の独特に柔和な存在感でなければ成立しなかったし、松村北斗も「キリエのうた」と比べてお芝居をしているときの存在のしかたが格段に自然になったと感じた。

ただ、こんなにやさしい世界があることを信じられなくて、作中のやさしさを現実に持ち帰ることにためらいがあった。フィクションの中にしか成立しない特別な理想郷で起こる特別なコミュニケーションというか。

 

ジョジョミュの初日延期について

www.tohostage.com

 

完成度およびそれに伴う危険性を理由にした公演中止、初日の延期はここ数年で散見されるようになった。

思うに、そういう事態が以前はなかったというわけではなく、ある程度大きいタイトルの中止があると観劇予定がなくともSNSでその中止を知ることが増えたとか、コロナを経て中止理由に注目が集まり続けているとか、そういう側面もあるだろう。

ぱっと思い出せるものだと、キメステも同じような理由で初日を延期していた。

正直なところ、チケット代以外の額面が補填の対象になったというのは驚きだった。こちらは公演中止とは違って前例の記憶はなかったから。

この一連の出来事を観測していて思ったのは、観る予定だった舞台が中止になっても、わたしは何とも思わないな、ということだった。中止なり補填なり、具体的な決定事項に対する感情はもちろんあるんだけど、観れないから悲しいとか蔑ろにされているようで悔しいとか、そういうことを思ったためしがなかった。今回はたまたま東京公演の終盤の方のチケットを買っていたので事実として他人事と言ってしまえる状態ではあったんだけど、今回に限らず、いつでも何も思わない。

ほんの数公演だけだが、観る予定だった公演が中止になったことはある。でもそれが運命なんだろうなと思ってすぐ受け入れられた(席の良し悪しもおみくじ感覚ですぐ受け入れてしまう)。観るつもりだったけどチケットを取らなかった/取れなかったことが多すぎて、実際に観れたものだけを観たかったものだと思う習慣ができているのかもしれない。あるいは、もしこれを観ていたら人生が劇的に変わったかもしれないというように、中止公演からポジティブな影響を受けられたと信じるだけの力が残っていないのかも。

どちらにせよ、観劇の最中以外は無感動に演劇に接しているのだな、ということを自覚させられた。

観想は割愛するが、ジョジョミュは素晴らしかった。兵庫公演の配信も両日とも観る予定。

 

演劇とお金、そこへの貢献

ゆうめいが「養生」のあとがきで、「ハートランド」での損失が700万円近かったことを公表しているのを読み、衝撃が走った。

www.yu-mei.com

一観客として、演劇に対して何も手助けができないことをずっと申し訳なく思っている。もちろん自分が継続的に観ると決めている劇団のチケットは買っているけど、何公演も入ったりはしないし、誘うような友人知人もいない。お金にも時間にも限りがあって、特に今年は観劇に割くリソースを増やし過ぎないように注意して取捨選択をしている(それでもチケットは買い続けてるけど)。

見知った劇団の関係者が直截的な表現でチケットや配信の購入を呼び掛けているのを見かけるたびに、不甲斐なさで泣きたくなる……と言ったら何の力もないのに勝手に背負い込んだりしておかしいよ、と思われるかもしれないけど、そのくらいには責任を感じている。

だからせめて感想をリアルタイムで書こう、こまっしゃくれたことはいいからフライヤーの写真とよかったところ一言をすぐポストしよう、というところからやることにしたんだけど(それも2月中の出来事)、何もできずに寝てしまうことも多い。へとへとで息抜きに劇場に行った日とか、後ろに他の予定があった日とか、刺さってそこそこ泣いてしまった日とか。ベストコンディションじゃないと取り組もうとすら思えないことに問題があるとは自覚している…。

だから結局、過剰に申し訳なく感じる気持ちは克服できていないし、集客にも貢献できていない。でも演劇には恩があって、生きているうちにどうにか返さないとと思うから、できなかった日を反省する時間があるなら次に目を向けて発信を続けていきたいし、チケ代をもっと確保できるように仕事をがんばりたい。あまりへとへとにならない程度に。

1月観たもの読んだもの

たいした量じゃないけど珍しく小説読んだりもしたのでなんとなくまとめ。

 

舞台「呪術廻戦」-京都姉妹校交流会・起首雷同-

前作に続き配信にて。年末にアニメ2期を一気見していてちょうど気持ちが盛り上がっていたことと、よくなったという噂を聞いて観た。当方、原作未読のミーハーアニメ勢。

総合して、観てよかった、面白かったとはっきり言える作品になっていたと思う。昨年たくさんの2.5次元舞台が区切りを迎えて、もう2.5次元って世間に求められていないのかもって少し落ち込んでいたんだけど(舞台という表現形式の裾野がいっそう狭まってしまうことに危機感がある)、こうして息を吹き返したビッグタイトルを目にすると、まだまだ舞台コンテンツは飽きられてないよね…って嬉しい気持ちになる。

2.5次元にも若手の育成という課題があると認識していて。30代後半でも10代の役をバンバンやれる業界だからこそ、名実ともに若い俳優にも大きな役を任せていかないといつか断絶が起こってしまう。その点、じゅじゅステは2.5の経験が少なめなのだろうキャストと流司くん初めとするベテラン勢が混ざっていて、いい構成の座組だなと思った。ベテランのパフォーマンスにギミックの派手さを合わせると、どうしても若手の芝居がギミックに負けて感じる瞬間はあるんだけど、そういう要素をどこまで使うかの線引きがシーンごとによく検討されているというか、役者が第一に活きるように調整しているのだろうなというのも感じた。

流司くんのアクションがやはりあたま二つくらい抜けているなという印象。小柳さんもさすがベテランって感じなので虎杖・東堂が揃っているシーンの見応えがすごかった。八百屋と表現するにははばかられるほどのきつい傾斜のついたセットなのかディスプレイなのか、その上を傾斜を感じさせない身軽さでぽんぽん動き回って、挙句の果てには客席と対面する壁(いわゆる第一の壁、背景)をちょっと駆け上っていたようにも見えた。超越的な身体能力。

あと、東堂が高田ちゃんのライブで後方腕組彼氏面してたとこ一番笑った。

流司くんの虎杖像は、前作のときは舞台オリジナルなものを感じたけど、アニメ2期で宿儺が焼き尽くした渋谷を見たあとの虎杖を知っていると、あそこにつながる虎杖なんだなと自分は思った。つまり、納得感があった。

代役の熊沢さんがよかっただけに、泰江さんが今作を経験できなかったのは惜しい。ひとつの役を継続して演じていくときに、経験しなくてもいい公演というのは存在しないけれど、でも伏黒の覚醒回であり姉への思いを明かす回であったから…。

他のキャストで言及しておきたいのは青柳塁斗さん。ペダステも追ってるんだけど、こういう役を極めていってほしいなと思いました。誰にも代えがたい星、もといカロリー。こういうタイプのお芝居を見ると、舞台って最高にワクワクするなって実感する。

ともあれ、このテイストを踏襲しての次回公演にも期待が高まる。現地にも行ってみたいな。

 

平野啓一郎『決壊』上・下巻

昨年ちまちま『マチネの終わりに』を再読していて(映画がすごく好きだったから定期的に読み返している)、その流れで平野啓一郎をもっと読みたいと思ってチョイスしたんだけど、2作目に読むのはこれじゃなくてもよかったかもしれないね!

上巻は昨年から1か月半くらいかけて読んで、下巻は5時間で読んだ。読み止めるタイミングが分からなくて一気読みしてしまった。

上下巻通して、共感めいたものをほぼ感じなかったというのがすごい。自分は何を観るにしても共感をキーにして理解していく方だから。誰にも感情移入せずに残虐表現やつらさを煽るような人物描写だけを楽しみに読み進めた、とは思っていないけど、正直、ここまでの推進力の果てに何を思えばいいかちょっとわからない。

読後感としては「すばらしき世界」にちょっと似ていた。内容がというより、ラストシーンへの持って行き方とか幕切れとか光の差し方が似ていると思った。テレビ中継で台場の様子を見たり、犯行当時のDVDを確認したり、作中に映像という媒体が登場するから引っ張られているというのもあるけど、映画を観たあとに近い気持ちになった。悪く言えば小説に求めていた読後感ではないかも。小説に求めていたのがどんな読後感かと聞かれるとはっきりとは答えられないんだけど…。

こんなに急いで読み切ってしまった理由を考えるに、ひとつは自分の力量で100%読み下せる難易度ではないということ。つまり若干読み飛ばしているから読書のスピードが上がっているという。もうひとつは崇を理解したいという気持ち。でもその気持ちが彼の最後の行動の決定打になるようになってる構成だということはちょっと考えたらわかって、人が悪いというかなんというか。

崇が犯人ならいいなと思ったんだよね。犯罪を犯すような人間で間違いなかったと思いたいわけじゃなくて。彼が犯人なのであれば、彼が長年苦しんできた観念について、彼以外の人間にも理解が及ぶ程度の平易な言葉で説明がなされるのではないかと期待したから…。

かなりキツい描写が多い作品で、すごく疲弊したけど、これに懲りて平野啓一郎を読むのはやめようという気にはならなかった。とはいえ次はもう少し明るい気持ちで読み進められるものが読みたいな。

 

「三度目の殺人」

「PERFECT DAYS」を観たあとにアマプラで観た。

いま自分が想定している、役所広司という役者が求められている在り方、みたいなもののど真ん中をいくような役だったな…。求められているものを具体的に挙げると、理性的であること、かといって冷酷ではなく十二分に親しみを感じさせる人柄、そういう人間味が普段は抑制されていること、みたいなところだろうか。でも抑制されているって感じるということは、内面の何かがいつか爆発しそうな予感も同時にもたらしているというわけで。乱暴にまとめてしまえば、危ういバランスを保って周囲と関わっている善い人の役、という感じ。

福山雅治演じる弁護士がまさに作中でまったく同じ動きをしているけど、役所広司という人間の中に自分の理想的な人物像(ここで言えば娘思いの父親)を見出してしまうという点は「PERFECT DAYS」とも近しいものを感じた。

役所広司という人が実際どういう話し方で、どういう感じの人なのかまだ知らないけど、4作ほど観て、心根は優しいひとなのだろうといつも感じるから、そういうポジションの俳優なのかもしれないし、そうではないのかもしれない…。役所広司のことをもっと知りたいけど、スクリーンの中の幻影でいてほしい気持ちもあり、インタビュー映像を見るかどうか悩ましい。

1点だけ作品について書いておくならば、これをサスペンス映画だと思って観ると肩透かしを食らうだろうということ。個人的にはストーリーに明確な落としどころがなくても、どこかしらに気に入るセリフかエピソードがあれば概ね満足できるけど、それでも期待したよりかはふんわりしたまま終わったなとは思った。犯罪の動機や真相がつまびらかになれば、容疑者のことを深く知ることができるだろうと期待を抱かせる構造は、『決壊』とも似ている。

「PERFECT DAYS」雑感

 

20180929.hatenablog.com

 

これを書いたときからずっと、スクリーンに映し出されるべき身体の理想形の一つに役所広司があると思っている。憧れとか、崇拝に近いトーンで。「PERFECT DAYS」に対しても、非常に近しい印象を持った。具体的に言葉にするなら、平山と同じように(つまり、振る舞いだけでなく身体も同じくして)世界と関わりを持ちたいと思った。

 

世界に対して(もしくは、現代日本についてというべきなのかもしれない)、好意的で楽観的すぎる扱いをしている、という気配は何となく感じる。社会のうまくいっていない部分を視界にはっきりと捉えながらも批判性が薄く、どちらかというとうまくいっていない側に分類されるのであろう平山の生活を、フィクショナルに美化している。

でも本当にごめん、それについてしっかり咀嚼して踏み込むための気力がどうしても持てない。触れるだけに留めて、話を戻す。

 

平山と同じようになりたいと思ったという話だった。平山は裕福ではない。偏見を持たれやすい仕事をしている。配偶者も同居人もいない暮らし。仕事の後輩などにはてらいもなく、寂しくないんですか?と聞かれてしまう。確かにはじめは似たような印象を持った。

けれども、平山の生活を傍観していくうちに、彼に親しみを覚えている人間がいくらでもいることが分かってくる。平山の判で押したような繰り返しの日々の中で、その繰り返しによって彼を認識し、心を寄せてくれたのだろう人たち。超のつく無口である平山だが、周囲の人々に対する関心が高く、その関心を人好きのする素振りで瞬時に表に出すことができる。それが、平山に惹きつけられる理由だ。

「すばらしき世界」での役所広司の身体は、もっとエネルギッシュで、物理的な強靭さに向けられていたように記憶している。けれども今作では、内に秘めたなつっこさを過不足なく出力する、人たらしの身体として存在していた。たとえば表情などは身体性というよりも芝居の範疇に入るのかもしれないが、その出力の根源に確かに役所の肉体があると感じさせるような。

初めは彼のさびしい暮らしに親近感を持っていた。けれども作中の時間が進むにつれて、平山という人間は彼しか生きることの叶わない稀有な肉体とそこに宿る魂、それらをひっくるめた人生を総合した存在であるということがわかる。ルーティーンに支配された孤独な生活に対して感じた親近感は、すっかり憧憬へと変わってしまう。そしてそれは、平山という人物を貫通して、役所広司という俳優へと到達する。

作品そのものが、平山と役所に対する憧れをはらんだ視線を持っているようにも思った。

 

長尺で平山の表情を切り取ったラストシーンで、不思議と泣いていた。

いつものカセットテープをかけ、早朝の高速道路を運転するそれだけの場面で、役所広司の表情は絶え間なく、複雑に移ろう。出来事に反応するのではなく、自発的に。それは笑っているようでも、苦々しく何かを回顧しているようでもあり、目の縁の赤さは泣いているようにも見える。このような短い文章ではとても描写しきれないその変遷は、彼が生きてきた半生そのものに対する彼の感情のようにも思われる。

と、このままエンドロールに入るのではないかと予感させるほどの長い長いカットが途切れ、平山の運転する車が朝焼けに真正面に向かって走行していることが引きで映し出される。眩しいときの顔だったのか、と腑に落ちると同時に、平山はいつも眩しげに世界と触れ合っていたのか、とぼんやりと思う。

映画「カラオケ行こ!」雑感

映画「カラオケ行こ!」はもうご覧になりましたか。
これが本当に素晴らしい青春映画で、もちろん原作の面白さは既に人口膾炙といったところであろうけれども、原作にもキャストにもそんなに思い入れのない人間が観ても特筆すべき快作だったということを書きたい。

 

まず最初に感じたのは、なんてお手本のような構成なのだろうということ。
ここでこれがあったからあそこでこれがこう変化して…みたいな対応関係が、後から思い返して検討するまでもなく、スクリーンに映像が映し出されるそばからどんどん分かっていく。
要素と要素の関係性、演出の意図、そこから抱いてほしい感情がどんなものか。それらが分かりやすすぎる作品というのは間違いなく退屈と言っていい。
けれども、本作は模範的な手法を堂々と繰り出しながら、
聡実くんと狂児のチャーミングさによって、2人の関係や顛末をユニークで何にも代えがたい特別なものにしている。

 

主要人物2人についてすぐに逆のことを言うけれど、今作の面白さはキャラクター性によりかかる類いのものとは一線を画している。
彼らの魅力が本作の面白さの根幹にあることは間違いがないのだが、可愛い人物造形に助けられて飽きないということではまったくない。

今作に引き込まれる理由の一つは、距離や空間による二人の関係性の表現だ。

まず、聡実くんと狂児の物理的な距離。
会ったばかりの人間に一方的に距離を詰められる怖さ。逆に別の恐怖から逃れるために自主的に距離を詰めてしまう慣れ。適正な距離を保てているときの心の穏やかさ、などが映画の初めから終わりまで丁寧に切り取られている。
これもあからさまと言ってしまえばそうなのだけど、愚直に距離を見せ続けて、距離で関係性を雄弁に語るというのは、身体のさまを見せられる実写映画ならではの訴求ポイントだと思う。

 

空間という点では、破門された宇宙人に聡実くんが絡まれた後の屋上のシーンが白眉だと思っている。
気持ちの上では白眉とかかしこまった言葉ではぜんぜん足りない、めちゃくちゃ好きなシーンだ。
ここで交わされる二人の会話の大筋は、タイミングの調整はありつつも、内容自体はほとんど原作を踏襲している。
シチュエーションがカラオケボックスないし狂児の車内から、ちょっとしたビルの屋上に変わっているだけだ。

だが、これが何よりも大きい。
カラオケボックスも車内も密室だ。ここに至るまでの二人はほとんど世界から隔離された状態で親交を深めていた。
青空の下、自販機の缶を飲みながら冗談を言って笑い合う聡実くんと狂児は、まるで普通の友達のようにも見える。
密室で対峙してきた異物であるところの狂児が、聡実くんが生きている現実世界に同化して、当たり前に存在している。
そう錯覚させるような、明るさとほんの少しの切なさに満ちたシーンだ。

 

屋上でのやり取りを見て狂児が聡実くんの生活に根付いたという印象になるのは、彼の生活の肉付けが丁寧に行われているからでもある。
その要因は、何となくごちゃついた状態がそのまま定着した感のある実家の美術でもあるし、映画の完全オリジナル要素として登場する「映画を見る部」への聡実くんの収まり具合の演出でもあるが、やはり最も大きいのは合唱部での様子だと思う。

和田という2年の後輩が本当にいいキャラをしている。聡実くんと狂児を除いたら一番好きだ。
一見、他の部員と比べて合唱に対する熱意が大きくて、それが原因で部内にごたごたを引き起こしている和田。
だが、この子が聡実くんを先輩として尊敬しているという点が、部活の問題を何も知らない狂児に茶化された聡実くんが爆発するシーンとつながってくる。
作中で切り取られた時間軸での聡実くんは、声変わりによって合唱との関わり方を見失っているけれど、それまでは部長として本気で打ち込んでいて、だから和田みたいな子に好かれているのだ。
和田の存在が、過去の聡実くんの様子を想像させてくれる。

 

今作では、合唱部の本来の顧問が産休・育休のため不在で、ももちゃん先生という若い教師が代理で指導に当たっている。
ももちゃんは、合唱コンクールで金賞を取れなかった理由を聞かれて、愛が足りなかったのだと答える。その抽象的で精神論的な答えに、部員たちはお花畑だと笑うのだが、聡実くんにとってはそれだけでは終わらない。
彼女の口から飛び出した愛というキーワードは、聡実くんと狂児の関係性の変化に対する明確な、明確過ぎるほどの布石となっていく。
けれども、彼女は単純に愛という概念を聡実くんにもたらす役割のためだけに登場したのではない。

和田はももちゃん先生の態度に強く反発する。本来の顧問の先生は、もっと具体的な指導をしていたのだろう。
それを踏まえると、聡実くんが具体的な言葉でカラオケのコツをアドバイスできるのも、その顧問の下でしっかり部長をやっていた賜物なのだと分かってくる。

生活の肉付けとは言ったものの、ストーリーを補強するための単一用途で原作要素を膨らませたり、追加要素を生み出したりしているのではない。
聡実くんという人物を形作った世界の描写をより緻密にしていくというアプローチなのだ。

 

聡実くんの世界に対して、明確に新しく描き込まれたのが死という概念の経験値だ。
先ほど「映画を見る部」に聡実くんがフィットしているという点について軽く触れたが、部長の栗山の他にも、聡実くんをこの部に迎え入れてくれた人物がいる。
部の設立当初に顧問をしていた先生だ。しかし、この人は既に亡くなっているという。
細かい人物像への言及はないのだが、壊れかけのビデオデッキやモノクロ映画のVHSを個人で大事に所有しているほどには映画好きで、幽霊部員を許可してくれる柔軟な先生だったのかなと想像する。

15才なら、身近な人の死を一度も経験していない可能性もあるだろう。
原作では聡実くんと死との距離を推し測れる情報はなく、どちらとも言えない。
今作ではその点をはっきりとさせ、それなりに交流があったであろう教師を亡くしていることが明言されている。
狂児が地獄へ行ったとき、聡実くんは強い実感を持って、この先の狂児の不在を想像したはずだ。
よくしてくれた先生に二度と会うことができなくなったという経験が、その喪失感を生々しく浮き立たせたに違いない。

 

ここまで特に素晴らしいと思った点についていくつか言及してきたが、それらの共通点として、ベタであるということが言えると思う。
最初から最後まで、一貫して素直なアプローチで作られた青春映画なのだ。
二人の距離で関係の変化を表すのも、普段の生活を描き込んでイレギュラーである狂児と対比するのも、目新しい手法ではない。
出会いの瞬間に雷が落ちたり、焼き鮭の皮の受け渡しがスローモーションで強調されるたりするのもまさしくベタである。
そういう要素をこんなにも積み重ねているのに総合的な印象がベタだなあ…で終わらないのは、この作品が聡実くんの視点で描かれているから。
ベタであることによって、聡実くんの幼さや無垢な部分が補強されている。
素直に描けば描くほど、聡実くんが輝くんです。

レッツゴー最高の人生 最終回

経ったなあ、5年。

20180929.hatenablog.com

 

2024年に最高になる(要約)と決めて毎年末に人生を振り返るブログを書いてきた。
2022年末分はあまりにも暗すぎて非公開にしてあるが、自分で確認できるように残してある。
どうにか4年やって来て、今年が最後の振り返りになった。

 

昨年末の落ち込みがひどくて、そこから抜けるのに少なく見積もっても4ヶ月はかかったが、そのあとの追い込みはすごかった。
まず、仕事で使う資格を取った。そこそこ難関と言ってもいいやつ。
具体的な成果が出ていなかったからブログではあまり触れなかったけど、ここ数年は1年のうちの半分くらいの期間は何かしら勉強していたのだった。
まあ365日ずっと勉強できたら一番いいんだけど、今の状況だって5年前では考えられないことだ。素直に褒めよう。

1つ資格を取ったことで自信を持って仕事ができるようになったのはもちろん、仕事がメンタルに響きにくくなった。
仕事上の不和のうち、ほとんどはやり方がベストではないために起きたものだとわかるようになったからだ。
わたしという人間がだめだから起こっているわけじゃない。それがはっきりわかっている。

とはいえまだ精神的な疲労感でへとへとになる日も多いので、仕事するだけで疲れてしまわないように、もっとうまい振る舞いや考え方を身につけたい。
仕事も、仕事してるときの自分も好きだし。

 

資格合格が後押しとなって、というわけでもないのだが、その後まもなく家を買った。
家ほしいなあと思った10日後には契約書にハンコを押していた。

5年後に最高の人生をと考えたとき、頭にあったのは、結婚するのかもしれないということだった。
去年までの間に、こりゃあ無理だなと、ひとりで生きていくことを決めはしていたけど、まさか家を持つことにすり替わるとは当時は思ってもみなかった。

いまは家を大事にすることが自分の人生を大事にすることにつながると信じている。
自分自身の生活を積極的に豊かにしようと思えなくても、家があるお陰で、なるべく自分が快適に過ごせるように行動するようになった。
できあいのお惣菜をちゃんと皿に盛って食べたりとか…。

一人住まいの終の棲家はいずれ問題になることだったので、元気のあるときにいったんの解決を得たのはこれからの人生にとって大変心強い。
どんな場所でどう死ぬかはわからないが、安心できる場所がひとつあるのはいいことだ。

 

買いましたーと簡単に書いたけど、財政面はだいぶ心許ない感じになった。多ステに躊躇のない観劇オタクに潤沢な資金なんてあるわけないのだよ。
来年は、かなりセーブして観るものを選んでいくことになるだろう。
というか既に今年も下半期はぜんぜん観なかった。

それでもやっぱり、この人生に演劇と、それから映画はなくてはならないものだ。
結局そこに戻ってくる。
観れるものを今まで以上に大事に、観れたものは丁寧に記憶に残すつもりだ。
つまり、もうちょっと感想を書こうということだ。書かないと全部忘れるって毎年言っているんだから。

 

趣味の分野では、推しに出戻りするという出来事もあった。
以前のようにグラグラに煮詰まった気持ちにならないといったら大嘘だけど、ずいぶん適量で好きでいられるようになった。
出演作には入れるだけ入る!ブロマイド多めに買っとくね!手紙また書いたから読んでね!みたいなことはしていなくて、それを申し訳ないと思う日もある。
でもそういうやり方じゃ続かないってよく分かってるから、なるべく長く応援していられるような行動を最優先にしている。

……と、冷静ぶってはみるけど、5年ぶりにお手紙渡してゆっくりお話しできたのめちゃくちゃうれしかった!
推しはわたしにとって推しだけど、同時代に生きていて仕事をがんばっている同年代のひとでもあって、出演作を観る以外でもいろんな元気をもらった。ありがとう。
ずっと応援してるって言ったこと、嘘にしないつもりです(やっぱり重いよ!)

あとは改めて、本やアニメやゲームが好きだなと思ったりした。
これも推しと似ていて、何かを毎日ずっと好きじゃなくていいんだというのがわかって、ようやく好きでいる自分を認められるようになってきたというか。
誰かと比べて突出した感情、あるいは発見、批評、エトセトラ…がなくても、好きだって言っていきたい。

 

 

さて、今年はまれにみる充実した年だったと言えるわけだが、最高の人生って結局ぜんぜんわからなかった。

いったい何がわたしの求めるもので、何をもってして最高と言えるんだろう。

これは2019年の最初の人生ブログの冒頭に書いていたことだけど、本当にそうだねーとしか言いようがない。
でも違うことがあるとすれば、やりたいことは意外といっぱいある。

親にいい思いさせて看取りたい。
何度も救ってくれた舞台や映画に何かしら恩返ししてから死にたい。

大きいのはこの2つだけど、おいしいパンをたくさん食べたいとか、そういう小さいのもいろいろ。
たぶん、5年前もそういう願望がまったくなかったわけじゃない。
暗い気分におされて見えなくなってしまうだけ。

いま明るい気分でいられるのは5年間ずっとがんばった成果というわけではない。気分ってかなり偶然だし。
でも余計な落ち込みにつながる思考の回比率が上がってきた実感がある。
最高の人生が何かはよくわからなかったけど、いつかそれを見出す可能性もあるといまは感じている。
その感覚をもってこの5年の過ごし方はベストだったってことで、5年前のわたし的にはどう?

 

それにしても「最高の人生 最終回」ってタイトル、縁起が悪すぎる。
来年も人生をやるぞ。

今年の映画2023

感想のていで1年を振り返ることに意味があるというもの。
一言ずつです。

 

今年観た映画リスト

 

THE FIRST SLAM DUNK

正確には初見は去年なのだが、主に今年リピートしていたので。
最終的には14回観た。これを超えることは当分ないだろう。

スラムダンクはまったく通ったことがなかったんだけど、
映画が話題になっているという理由で観に行って、すぐ原作を全巻揃えた。

ものすごいパワーの映画が本気のロングランをしていて、
映画館までたどり着きさえすれば元気になって帰れるという状況は、何よりも心の支えになった。

赤木先輩が好き。とても。

 

エゴイスト

今年の1位かもしれない。素晴らしかった。
イカップルの映画でしょ?興味ないかな、って敬遠している人がいたらもったいない。
わたしは恋愛が主題の映画とは思わなかった。

 

BLUE GIANT

方言のでたらめ具合がひどくて何も言いたくありません。
アニメーション作品、あるいは音楽映画として評価されているのだろうが、方言監修がまったくなされていないことについて注釈のついているレビューはあるのだろうか。
思い出すといやんなっちゃうので何もチェックしてないのだが…。
自分がフィクションに対して、リアルな方言を伝え、残す役割を担うことを期待しているのだと改めて実感した作品だった。

 

別れる決心

何も覚えていない…。
なんか自宅に招いて料理するシーンが好きだった。

 

Winny

これもベスト3には入れたい秀作だった。
法廷シーンおよびその準備がすごく面白くて、退屈する隙がなかった。
東出昌大ってやっぱり人好きのする芝居がうまいな…。

隣の席に座っていた、恐らくエンジニアっぽい人(同行者との会話からそう感じた)が泣いていたのが印象的。

 

零落

あまり覚えていないが、美術がよかったような気がする…。

 

映画刀剣乱舞 -黎明-

長谷部が好きなので観て損はなかった。
オリキャラたちの話だなと感じた記憶はあるが、それを批判するほどの悪印象ではなかった。
でも作風としては1作目の方が好きだったかも。

 

名探偵コナン 黒鉄の魚影

元気があったので別記事で雑感を書いています。
今年のはめちゃくちゃ好きだった!

 

おとななじみ

こちらも別記事に雑感があります。
ヒロインがかわいくて最高だった。

 

最後まで行く

別記事に雑感があります。
あんまりハマらなかった…。

 

怪物

別記事
このへんは元気だったことがうかがえる。

 

水は海に向かって流れる

広瀬すずって大人になったなと思った。
思ったよりもコメディタッチだったのと、年の差恋愛がそんなに得意ではないので、お話としてはハマらなかったかな。

 

1秒先の彼

「1秒先の彼女」が好きだったので観に行ったけど、うーん…。
原作を観た方がいいです。

 

君たちはどう生きるか

宮崎駿および彼の作品についてぜんぜん知見がないなりに、宮崎駿の全盛りという印象を受けた。
映像としてはすごく面白かったし、観てよかったけど、物語の理解度にはまったく自信がない。
キムタクの演技がものすごくうまくて感動した。

 

リバー、流れないでよ

ヨーロッパ企画って1回もハマったことがない…。
笑いながら観はするんだけど、絶妙に気が合わない…。

 

春に散る

ベスト3に入れたい。
かなり意図的にバディに、もっと言えばブロマンスになるように原作を取捨選択しているような印象を受けたんだけど(窪田正孝の役のエピソードがぜんぜんないのが不自然だったから)、
関係性だけじゃなくてボクシングの面白さもしっかり見せようという熱意が感じられた。

これまで横浜流星の顔と名前が一致してなかったんだけど(すみません)(普通に「流浪の月」とか観てました)、もっとこういうタッチの映画でお芝居を観たいなと思った。
ベテラン俳優に取り囲まれても引けを取らない、ひときわ輝く一等星だった。
数年前なら黒木華安藤サクラがやっていたような薄幸な感じの役を橋本環奈がやっていて、意外性があって面白かった。

 

アンダーカレント

井浦新がしみじみよかった…。
最高の離婚」ファンとしては、海辺のカフェでの真木よう子瑛太の会話シーンはぐっときた。
リリーフランキーのキャスティングが絶妙。
ストーリーについては印象が薄めかも。

 

キリエのうた

広瀬すずが最高だった。
彼女がスクリーンに映っているとそれだけで世界がドラマチックになった。
「怒り」や「海街diary」のときで印象が止まっていたのでずっと女子高生のような気がしていて、先述の「水は海に向かって流れる」でも大人になったなあと思ったんだけど、フレッシュさだけじゃない特別な華がある役者なんだということをいよいよ実感した。
黒木華も安定した素晴らしさだったなあ。個人的には「リップヴァンウィンクルの花嫁」よりも今回のパワフルな大人の役どころがすごく好きだった。

キリエ(姉)がアクの強い人間なので、後半でキリエ(妹)と彼女が混濁して感じられて、ラストにかけての消化の難易度が上がったなあと思った。

 

窓際のトットちゃん

「エゴイスト」と迷うけど、今年のベストかも。
予告見てもまったく食指が動かなかった(幼少期に原作既読なので戦争の話であることは知っていた)んだけど、Twitterで激推しされているのを信じて観に行って本当に良かった。

こういう言い方ってちょっと無責任かもって思うから、普段はあんまり言わないんだけど、とにかく若い人に観てほしいと思った。
戦争が日常を侵食していく描写がとにかくすごい、ぜんぜん説明がないのに全部わかってしまえる絶妙な演出…。

好きなエピソードばっかりだけど、強いて一つあげるとしたら、お父さんと軍歌のくだりかなあ。
泰明ちゃんが服を汚して帰ってきたところも思い出しただけで泣きそう。

 

鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎

こちらもTwitterの風潮に押されて観に行ったけどぜんぜんハマらなかった…。

 

枯れ葉

Twitterで推されているのを見かけて素直に観に行った。Twitterに心預けすぎ。

めちゃくちゃ面白かった!
癖になる不思議な目線の切り取り方と不思議な間、真面目なのかとぼけてるのかわからない絶妙なトーン、ぜんぜんテンションを上げない登場人物たち…。
音楽映画としての側面もあるんだろうけど、生活に音楽があるというだけで、盛り上がったときにそういう曲がかかるとかはぜんぜんない。
というかあからさまな盛り上がりがない。

寡聞にして存じ上げなかったのだが、アキ・カウリスマキは著名な監督のようで、過去作も観てみたいな。できれば映画館で…。

雑感集2023

2年半ぶりの雑感集。

映画を観たあとに殴り書きした感想の寄せ集めです。

 

 

名探偵コナン 黒鉄の魚影

劇場で観たの紺青のフィストぶりだったんだけど、めちゃくちゃ面白かった…。(もしかして紺青って…あんまりだったのか…?)黒ずくめの組織の活動、オリジナルキャラと本編キャラの交流、人気キャラオールスター祭り、そして爆発と感情感情感情〜!という、これぞコナン映画という構成だなと思いました。

これ観終わったあと哀ちゃん………ってならない人間いないだろってくらいの全部盛りですごかった。歩美ちゃんと哀ちゃんがダブルベッドだったの見逃さなかったし一刻を争うときに布団かけ直してあげるの愛すぎる。あと…わたしが哀ちゃんに関して固定のカップリング観を持たない以上センシティブな話題ではあるんですけど…、コ←哀時空でありつつ蘭に明美さんを重ねたり新蘭を尊重してしまったりする哀ちゃんが…切なくもしっくりきたというか…。表面上の展開はクソデカ規模のいつもの感じでありつつも根底にある登場人物の感情とか関係性を蔑ろにしないストーリーになってて、これがプロの作劇、と思った。

すごい好きなシーンがあって、哀ちゃんが誘拐された後に見た夢なんですけど。ジンを恐れていることと、自分の正体がバレたときに最初に犠牲になるのは阿笠博士だと彼女が思ってることが描かれてるんですよね。自分の身と同じくらいに案じているのが阿笠博士だってことだよね…。泣いたよわたし…。

ナオミさんのパパが狙撃されるとこも良かった(良くはない)。水無怜奈のお父さんのことすっかり記憶から抜け落ちてたんですけど、そこはさすがライト層も振り落とさない信頼のコナン、丁寧な回想!  っていうかナオミさんと志保さんの関係設定がうますぎる。ここが固いから哀ちゃんとコナンのシーンも活きるし、わたしは迷宮の十字路が好きなのでけっこう高校生メンの活躍に期待するところがあるんですけど、今回はそうじゃないものを真っ向から見せる!という強い意志を感じた。

あとスマホ越しに赤井さんとあむぴが会話するのオタクが考えたやつじゃん。口に出してほしい呼称みんな使ってきたじゃん。さすがに笑いを禁じ得なかった。あむぴは何年経っても若々しいわね…(それはそう)

赤井さんといえば、自分は本編追ってないのでなんだか久々に沖矢さんがしゃべってるの聞いたんだけど、置鮎さんが完全に赤井秀一の口調でしゃべってて、声優さんってすげー!って思った(はじめてアニメ声優を認識した人?)

園子が元太光彦歩美を引率するとこの蘭とのやり取りもなんか泣いた。子どもたちといえば恒例の博士クイズ、怒る→アングリー→あんぐりと言えば口!という推理をしたが外れた(…)。

総じて求めるものが観られて楽しかったです。来年も絶対観る〜〜〜 

 

以下、緋色の弾丸視聴後の追記(配信で観ました)

コナン映画って、ストーリーの深度に年ごとにムラがある!というのに気付いた(遅)。今作の事件の根幹にあるのは復讐である。しかし復讐の背景は自白時以外に掘り下げられない。さらに、その復讐と赤井家は無関係だ。さらにさらに、赤井家内の新規の掘り下げもなく、世良とママ、チュー吉、赤井さんがそれぞれの思惑で基本的に別行動をする。この作品には、出来事それ自体の面白さ以外の収穫がない。少なくともわたしはそう感じた(由美タンとチュー吉は好きだった)。

それと比較するとサブマリンははっきりとストーリーとその他の要素に関連性がある。前提として、犯人側にジンアンチという属性と外見的特徴以外の情報がほとんどなく、それがかえってその人の掘り下げを不要にしている。その上で、犯人ではなくシステムを作ったナオミの方に時間を割く。ナオミを知ることで志保さんの幼少期を知ることができたし、何より蘭がコナンに新一の面影を重ねるように、哀ちゃんに志保さんの面影を見る人がいるという描写が生まれた。(ここがまずめちゃくちゃいい、あるべき描写だと思う)

そして繰り返しになるがナオミの主張。年齢による差別をなくしたいというのはコナンという作品全体に関わる内容であるし、哀ちゃんとコナンが活躍する今作のシナリオに直結する。彼女の主張がストーリーの一瞬の面白さやシステムを作った動機の補強にとどまらないのがよい。またこれも言及済みだが、キールがあの場にいることでナオミパパの狙撃が単純な脅しに止まらないところもよい。これも瞬間的な盛り上がりのためだけの展開ではないというのが明確だから、物語への没入感が持続する。

赤井さんとあむぴのシーンはサービスサービス〜!っていう態度が丸出しなんだけど、哀ちゃんの話とは完全に切り分けた作りだから、何も考えずに楽しむので正解な気がする。

サッカーボールの使用ノルマ達成方法も、発光によって潜水艇の影を映し出すというきれいなタイトル回収になっていてよかった。

前回お前はまずこれについて話せよ!というのを書き忘れてたんですけど諏訪部さんがゲスト声優で沸きました。美味しいキャラだったね。

 

おとななじみ

LDHを通ってからというものこういう若者向けのキラキラ青春映画に強い耐性がついて、むしろ積極的に欲するときさえある。(センセイ君主面白いから見てね)

みずきくんの顔はずっとかわいいんだけど春にはぜんっぜん感情移入できないしそんなにかっこいいとも思わない、だがそれがいい! フラッシュモブのところやっぱよかったな。原作にもあるんかな。アイドルをキャスティングする意義があるシーン。かっこいいとは思わないけど、お母さんの命日にお花くれるとこは泣いた。

一方で楓役の久間田琳加さんはずっとかわいいうえに役もかわいくてめちゃくちゃよかった。お芝居も上手でギャグ調がそこまで気にならないしお洋服もかわいいしメイクも髪もずっとかわいい。伊織にどぎまぎしてるところなんかくそかわですわ。お手本のような八の字まゆ毛。しっかりメイクしてるときとそうじゃないときがはっきり分かれてて奇妙なリアリティーを感じたんだけどメイク薄くても常時かわいいですわ。身長164センチあるらしい。えっじゃあ小さく見えたけどみずきくんも普通に身長ある!? 最後のシーンの「だめ」がかわいすぎた。

春に感情がないということは当然伊織推しなんですけど、この世の大半の人間は春と付き合うより伊織と付き合った方が幸せになれると思う(巨大主語)。俺の仕事も見てほしいって言われて会場行くとレセプション向けのキメキメスーツの伊織が出てきたら失神してしまう。

荻原利久さんって勇征くんと「美しい彼」をやってる子なんだね。他の出演作よくわからんかったけど、わたしの好きそうな邦画に出ていそうな顔だから未来のどこかでお芝居を観ることがあるでしょう。

最近の少女漫画って無理やりキスとかわざとらしい壁ドンとかないんですね。ものすごく観やすかった。あと、同時に2人の男の子が気になってどうしよ~!?だけじゃなくて、大人になることのひとつの象徴として仕事との関わり方が思ったよりも丁寧に描かれてて、いい恋愛映画だなと思った。紙資料わたされて休日に稼働して私用PCでデータ分析させられんのは反吐が出ましたが(口悪)。宍戸美和公のキャスティングが良かった。

 

最後まで行く

なんというか…わたしがほとんど経験したことのないジャンルの映画だなと思った。スリリングでエキサイティングで笑えたし、状況の整え具合もわざとらしすぎずちょうどよかったんだけど、でも、観終わったあとにどういう感情を抱いたらいいかわからん…。この手の映画、何を思うことを想定して撮られている…?

綾野剛の、出世のために結婚した興味のない女の両親への手紙を食卓で聞いているときの表情が好きで、こういう質感の映画で急にいい塩梅の綾野剛が出てきたな…と思ってたら、すごい速度で狂気にびたびたに浸っていってやっぱこういう感じね!とむしろ納得した節がある。あのシーンって靴踏まれてるんじゃなくて玉握りつぶされてる!?(やめな!)岡田准一の肉体から繰り出される暴力は妥当〜って思うんだけど、綾野剛の細長い体から突然タコ殴りが出ると、怖い。シンプルに。

岡田准一のお芝居ってほぼ観たことなかったかも。SPで止まってたかも。こういう感じの役似合うな。あと柄本明が出てきた瞬間、スクリーンの質感変わったな。毎回似たような印象持ってるな。わたしが映画撮るときも柄本明にラスボスやってほしい(?)
黒羽くんどこに出てたかわからんかった…ちゃんと顔知ってるのに。

尾田(刺青の若い男)の電話に応答する岡田准一の「ぉっ」のところいちばん笑った。あの周辺の同僚刑事とのやりとりすごく好きで、な〜んだこの作品ってほんとはここのバディものなんだ!っていう安心感、返してほしい。ドラム缶落ちてきたとこビビりすぎて心臓止まるかと思った。

ときどきすごくきれいな、力の入ったカットがあって、でもきれいに見せたい=びっくりポイントか!?と思ってしまって映像には集中できなかったかも…。

なぜ観に行ったかというとタイトルがめちゃくちゃかっこよかったからで、5・2の7音かつ動詞で終わるのかっこよくないですか、メインビジュアル出たときから絶対観るべって思ってたんだけど、予告の感じからあ〜〜ってなってて、でも押し切って観ちゃった。
知らんジャンルの映画観れて愉快だった、酒飲みながら金曜の夜に観るのにぴったりだと思う。でもやっぱどういう感情になればいいかわかりません!

 

怪物

情報が出たときからずっと楽しみにしていた。初めて予告を観たときはショッキングな話なのでは?と思ったし、実際苦しいシーンもあったけど、身構えていたような苦しさではなく(例えば「怒り」みたいな爆発的な暴力性はない)、構成と映像の力もあって、光を放つ美しい土地に軟着陸したような結末だった。

フィクションの中で特に同性同士の関係性の描かれ方を好きだと言おうとするときに、消費の側面を疑われるのではないか、ということが不安で息苦しく感じることが増えた。うまく作品の好きなところを切り分けて言語化できればいいのだけど、常に潔白を証明しながら話せるかと言われるとそうではないし、かわいいかっこいいみたいな平易な興奮をここでも書く。でも、とにかく子どもたちを消費しようという気持ちはないし、映画の話がしたくて書いている。

早速本筋から逸れた。これについてはいずれまとめるとして、記憶のあるうちに、思ったことをバラバラに書く。

安藤サクラのお芝居って「ある男」のときは全然わかんなかったんだけど(そもそも作品がはまらなかった)、今作は序盤ですぐ掴まれる感じがあった。というか誰にフォーカスが当たっているときもちっとも退屈しなかった。ベランダから火事を見るシーン。湊が持ってきたアイスを二人で分け合う。湊に手すりから乗り出さないようにと言ったそばから自分が身を乗り出して、消防隊員にがんばれと叫ぶ。この時点で母のキャラクターと二人の関係性がだいたい見えた。

湊のベッドに腰かけて話すシーン、湊は可哀想じゃないって言って手を握って来るところがぎゅっと切なくなった。母親が口にする普通の家族に自分がなれないかもしれないって不安や罪悪感や反発を感じで居る一方で、母親のことを切り捨てたいわけじゃない。

瑛太高畑充希が付き合っているというのがよかった(悪い感想)。明るい髪色のショートカット、充希ちゃんによく似合っていた。

最初、校長室で飴舐めてる堀先生見て強い怒りを感じたな…。そんなことするな!という行為ではあるんだけど、背景を知ると同情がわく。大切な人から教わった行動で心を守ろうとすること。シンプルな仕組みだけど、どうしても心が傾く。

瑛太、かっこよかったな(最悪の感想)。例えば、「最高の離婚」や保険のCMで演じている役なんかでも、瑛太はどこか気持ち悪い、悪い意味での真面目さが前面に出るお芝居を求められることが多いなと、出演作を網羅しているわけではない顔ファンながら感じているのだが、今作でも外から見た堀先生はやはり気持ち悪いと思われているらしい。しかしわたしは今回の瑛太のビジュが好きで…正直堀先生目線のパートの半分くらいは瑛太かっこいいな…しか考えられなかった。真面目に見ようとしていたのに、どうしてもそうなってしまう。無精ひげをはやしているシーンなんかは声を上げそうになった。週刊誌に載った自分の記事の誤字に付箋を貼っているところなんか最高だった。いや、ここに対する感情は、わたし自身が悪い意味での真面目さを気持ち悪く露呈しているだけなのかもしれないが。

校長先生(田中裕子)が刑務所に面会に行くところ、泣いてしまった。堀先生は明らかに、湊の母から見たときと主観のときとで見え方が違うように演じられているんだけど、校長先生は誰の目線から見たときも硬い殻に閉じこもっているような、程度の差こそあれ底が見えない人物であれという一貫した演出がされていると思っていて。その中でふっとむき出しの人間性を、配偶者の前でほんのささやかに見せるというお芝居の機微に感動したのだと思う。

全体を通して、これからどうなってしまうんだろうってずっとハラハラしていたんだけど、ある意味前半の大人たちのごたごたは台風の日に堀先生が謝りにきたことでなんとなーく収まってしまう。シングルマザーのモンスターっぷりも、週刊誌までやってきてすっかり大事になった堀先生への誤解も。ビチョビチョになりながら子どもを探すというあまりにもドラマチックなシチュエーションが、少なくとも観客の脳内で事件の大きさを小さくする。

子どもたち2人がすごくよかった。単純な対比として、湊は声変わりが済んでいて、星川くんはまだである。普段子どもと関わることがないからあまり意識したことがなかったが、5年生くらいの時期はひとによって成長の差が激しいのかもしれない。星川くんが小柄なのも相まって、別々の人間であることが強調されるように思う。(キャストの生年を確認したら、湊役の子が2個年上だった。明らかに意図的な成長の差を見せたいキャスティングだろうから、いいなと思った)

秘密基地の電車の中で転校の話を聞いた湊が思わず茶化してしまったあとの一連のやり取り。星川くんのことをどういう意味で好きなのかをいよいよ自覚する、二人で見つめ合っているシーンもよかったんだけど、そのすぐ手前の、いなくなったら嫌だよってなんの装飾もなく、本当に幼い子どもみたいに素直な言葉で星川くんにすがりつく湊がよくて、驚いた。家でも学校でも、ひとりでいるときですら少し大人びている湊という子をじっくり描写してきたからなんだろうけど、そのさらけ出し方があまりにも無防備で、すごくびっくりした。

結婚して家庭を持つとか、男の子なんだから、みたいな言説。観客として見ているせいで、くだらないこと言う人ってまだいっぱいいるよね、そういうリアリティだよねって都合よく咀嚼できてしまうんだけど、湊たちはまだ小学5年生なんだよ。そんなもん押し付けられたらたまったもんじゃないよ…。

怖い映画なのかと思った、と冒頭で書いたけど、その当事者にとって自分は人と違う人間なのかもしれないという不安は十分怖いものだろうし、後付けではあるけれど2時間ずっと(楽しい方向ではなく、苦痛を伴う)ハラハラした気持ちで見守らないといけなかったことって、体験としてこの作品がやりたいことにマッチしていて、よかったのかもしれない。

誰もが手に入れられないことは幸せではなく、みんなが手にできるものが幸せなんだっていうメッセージは、正直あんまりぴんとこなかったんだけど、でも「当たり前の普通の家庭」を押し付けられている湊にとって重大な助言になるだろうということは想像できる。

湊と星川くんが死んだのかどうか?というので意見が分かれているっぽい。わたしは生きて脱出したと信じて疑っていなかった。母と堀先生が電車の窓を開けたあと、二人が見た車内の映像があまりにも暗くてよくわからなかったというのもあるかもしれない。窓の泥を払っても払っても中が見えるようにならない、というのを車内から映しているカットが美しくて好きだった。