2022年1月の記憶

年明けは2年ぶりに実家にいて、家族に対してウケたいという気持ちがあることに気付いた。普段友達と通話するときはオチのない話を前から後ろに向かってダラダラ話しているというのに。家族にだけはウケたいから頑張ってしまう。空回る。
連日死ぬほど寒かったので鍋が食べたいとリクエストしたのだが、結果母を困らせてしまった。我が家は今全員が違う家で暮らしている。それぞれの家から集まった家族たちと同じ鍋をつつくことはできなかった。
自分を起点に新しい家族を持たないと半ば決意したとき(気が変わる余地は常にあるが)、既存の家族たちが生きているうちにもっと愛さねばという気持ちになる。空回る。

数年ぶりにメガネを新調し、度をいじってもらったら3週間くらい慣れなくてずっとうっすら具合が悪かった。異様に肩がこるようになったことと引き換えに、フレームが羽みたいに軽くなってマスク着用時の負担が和らぎ、観劇時の見え方も劇的に向上した。何より今の気分に合っていてかわいい。今年買ってよかったもの暫定1位。

映画「文豪ストレイドッグス BEAST」に通っていた。同一の作品を鑑賞した最高回数を更新し、飲食代だけで中規模の劇場のチケ代に匹敵するくらい出費した。こういう状況になった当初、観劇ができなかったり仕事が変わったりなんやかやで落ち込んでいたわたしを支えてくれたのがアニメと映画館で、この作品がそれらの合流点に思えたからなおさら少しでもよく関わりたいという気持ちがあった。
同じ作品を繰り返し見ることは面白かった。もちろん作品が面白いというは大前提として、推し(若手俳優)を推していたときのことを思い出せたから。鑑賞自体はまったく苦痛ではなかったが、一方で面白い感想を言わなくてはという強迫観念があった。
面白い感想というのとはまた別に、自分の書く文章がもっと面白かったらいいのに、という悔しさをしばらくぶりに感じた。何についても書けたら満点の姿勢でやっていたつもりだったが、野心のようなものが残っているのかもしれない。意外。

この流れで書くと完全に動機が見えるのだが、映画「どうしても触れたくない」を配信レンタルで観た。観始めてすぐは商業BLの定石を知らないことに起因する個人的な心もとなさがあったが、ストーリー的にもカメラワーク的にもすごく引いた視点が印象的で、好きな感触の邦画だった。子どもがほしい人間を好きになってしまうことはセクシュアリティに関わらずかなり身近な問題だと思った。
最近知人が出産して、ジルベールとケンジ(『きのう何食べた?』)のやりとりを頻繁に思い出している。

思えば今月は喫煙者の出てくる作品を観ることが多く、喫煙という仕草についてよく考えていた。例えばTシャツを脱ぐときの手つきに個性があるように喫煙にも個性があり、かつそれがプライベートな色を含むときにセクシーに見えると結論付けた。

特にリアクションしなかったけど「呪術廻戦 0」も観に行った。全体的に話がコンパクトにまとまっているように感じた。もっと説明したほうが分かりやすいかもしれないポイントを全部切り捨ててスピードに全振りしたような。でもそれで物足りなさを感じないからうまくいっているんだと思う。

アニメはあまり観なかった。昨年ジョジョ6部の先行配信を一気見したあと3部を追いかけながら2クール目を待っていたが、中旬から気持ちが疲れてきて(明らかに映画の観すぎ)Youtubeしか見なくなっていった。主にぼくたちのあそびばを流しっぱなしにしている。JGRもたまに流すけど、今のとこ事務所への解像度が低すぎて面白さがよくわからん。ここしばらくSixTONESが好きなのだが、そういえばまだブログでは言及してないや。

観劇は3本。(劇場版刀ステは微妙だけど観劇にカウント)

 

 

 

フィクションが現実世界と結びつくことで生まれる確かさがここ数日の自分の中で流行っている。「BEAST」が実際の横浜のカットを丁寧に挿入していることとか、刀ステの史実の取り入れ方もそう。完全に架空の世界のみで進行する作品と対比して理由を考える必要はあるが、現実と混じることでフィクションの世界が開ける感覚があり急に面白く感じ始めた。

前は感想を書くと書いた内容を覚えていられたのだが、今は何を書いたか全く思い出せない。シンプルに頭が不安。