推しがいるから世界が輝く系映画かと思ったら/「あの頃。」を観た

松坂桃李松浦亜弥のファンをやるということで、てっきり推しがいるおかげで世界が輝いて見えるという話だと思って観に行ったら、肩透かしを食らった形だった。ストーリーの中心にあるのは同じハロプロファンとして知り合った仲間うちのあれやこれやで、後半にいたってはハロプロの話題はほとんど出てこない。学生時代からの友人とはまた違う、趣味友達のなんとも言えない身内感は、そういう関係に心当たりのある人なら共感を持って眺められるかもしれないが、とにかく、「推しがいる自分」という映画ではなかったと言える。

もちろんそういう側面は確かにあり、ライブで連番する予定だった後輩(恋愛対象となり得る相手)にドタキャンされた主人公が、20年後もこのまま独りでアイドルファンをやっている自分の幻影を見るシーンは、ここからホラー路線になるのか?というくらい親身な気持ちでぞっとした。何かに夢中になっている人間なら一度は感じたことがある恐怖だろう。しかしその後、ファンをやめようと考えた主人公が、運よく推しとの握手会の機会を得て結局降りないという展開は、推しへの気持ちの揺らぎとしては現実にありがちなリアルなエピソードのように見えたが、より強固に推しを思うでもなく、その後ファンを続けることへの疑念が寄せ返すわけでもなく、どこか心理をうやむやに隠されてしまったと感じた。繰り返しになるが、もっと推しへの気持ちが見たかったのにという、自分の事前確認不足による作品の良し悪し以前の不完全燃焼が残った。
 
強烈な印象を残したのはアイドルファンの仲間内の生臭さだ。狭っくるしい部屋でひざ突き合わせてアイドルの話をしたり、ぬめりけのある下ネタを言ったり、公衆の面前で身内ネタで延々と盛り上がったり、アイドルにかかわりのない世界のひとたちが想像する、一昔前の、ステレオタイプなアイドルオタクの、ホモソーシャルな臭いが立ち上る。とりわけ車中での“あと一歩”まで来た行為を回想するシーンは、それを仲間に伝えるという点も含め、あまりの気味悪さにずっとスクリーンより上の何もない黒いところを見て回避するというなかなかない体験をした。むせ返るような閉塞した関係性を描くという意味では成功しているというか、これ以上ないほどの完成形を提示できていると思う。が、そこにポジティブな意味を見出せない。これを見せられてどう反応するのが正解かわからなかった。
 
そのかわり、ひとつ好きな場面もあった。東京のライブハウスで働けることになった主人公が、きっかけを作った地元の仲間の一人とそのライブハウスで飲むというシーンだ。清潔で静かな広い空間で穏やかに二人で向き合う画は、ポスターを貼りたくった地元の自室や仲間たちと過ごしたイベントスペースといったごちゃついた場所と対比され、統制のきいたスマートさが心地よかった。(そういえば、主人公が東京で住んでいた部屋は作中には登場しなかった。果たして彼の部屋は推しで埋まっていたのか?)そこで交わされる「仲間たちを置いて東京に出てきて本当によかったか?」という会話は、よかった、というところに着地するのだが、そのシーンに漂う奇妙な寂しさに反して、主人公がかつて目指していた音楽への道がその後うっすらと開かれることからも、やっぱりあのコミュニティを出てきたのは正解に思えてしまう。狙い通りの印象なのかどうかは、自信がない。