2月観たもの考えたこと

仕事で忙しくしていたら4月になってしまった…。

 

「夜明けのすべて」

いい映画だった。

藤沢さんは上白石萌音の独特に柔和な存在感でなければ成立しなかったし、松村北斗も「キリエのうた」と比べてお芝居をしているときの存在のしかたが格段に自然になったと感じた。

ただ、こんなにやさしい世界があることを信じられなくて、作中のやさしさを現実に持ち帰ることにためらいがあった。フィクションの中にしか成立しない特別な理想郷で起こる特別なコミュニケーションというか。

 

ジョジョミュの初日延期について

www.tohostage.com

 

完成度およびそれに伴う危険性を理由にした公演中止、初日の延期はここ数年で散見されるようになった。

思うに、そういう事態が以前はなかったというわけではなく、ある程度大きいタイトルの中止があると観劇予定がなくともSNSでその中止を知ることが増えたとか、コロナを経て中止理由に注目が集まり続けているとか、そういう側面もあるだろう。

ぱっと思い出せるものだと、キメステも同じような理由で初日を延期していた。

正直なところ、チケット代以外の額面が補填の対象になったというのは驚きだった。こちらは公演中止とは違って前例の記憶はなかったから。

この一連の出来事を観測していて思ったのは、観る予定だった舞台が中止になっても、わたしは何とも思わないな、ということだった。中止なり補填なり、具体的な決定事項に対する感情はもちろんあるんだけど、観れないから悲しいとか蔑ろにされているようで悔しいとか、そういうことを思ったためしがなかった。今回はたまたま東京公演の終盤の方のチケットを買っていたので事実として他人事と言ってしまえる状態ではあったんだけど、今回に限らず、いつでも何も思わない。

ほんの数公演だけだが、観る予定だった公演が中止になったことはある。でもそれが運命なんだろうなと思ってすぐ受け入れられた(席の良し悪しもおみくじ感覚ですぐ受け入れてしまう)。観るつもりだったけどチケットを取らなかった/取れなかったことが多すぎて、実際に観れたものだけを観たかったものだと思う習慣ができているのかもしれない。あるいは、もしこれを観ていたら人生が劇的に変わったかもしれないというように、中止公演からポジティブな影響を受けられたと信じるだけの力が残っていないのかも。

どちらにせよ、観劇の最中以外は無感動に演劇に接しているのだな、ということを自覚させられた。

観想は割愛するが、ジョジョミュは素晴らしかった。兵庫公演の配信も両日とも観る予定。

 

演劇とお金、そこへの貢献

ゆうめいが「養生」のあとがきで、「ハートランド」での損失が700万円近かったことを公表しているのを読み、衝撃が走った。

www.yu-mei.com

一観客として、演劇に対して何も手助けができないことをずっと申し訳なく思っている。もちろん自分が継続的に観ると決めている劇団のチケットは買っているけど、何公演も入ったりはしないし、誘うような友人知人もいない。お金にも時間にも限りがあって、特に今年は観劇に割くリソースを増やし過ぎないように注意して取捨選択をしている(それでもチケットは買い続けてるけど)。

見知った劇団の関係者が直截的な表現でチケットや配信の購入を呼び掛けているのを見かけるたびに、不甲斐なさで泣きたくなる……と言ったら何の力もないのに勝手に背負い込んだりしておかしいよ、と思われるかもしれないけど、そのくらいには責任を感じている。

だからせめて感想をリアルタイムで書こう、こまっしゃくれたことはいいからフライヤーの写真とよかったところ一言をすぐポストしよう、というところからやることにしたんだけど(それも2月中の出来事)、何もできずに寝てしまうことも多い。へとへとで息抜きに劇場に行った日とか、後ろに他の予定があった日とか、刺さってそこそこ泣いてしまった日とか。ベストコンディションじゃないと取り組もうとすら思えないことに問題があるとは自覚している…。

だから結局、過剰に申し訳なく感じる気持ちは克服できていないし、集客にも貢献できていない。でも演劇には恩があって、生きているうちにどうにか返さないとと思うから、できなかった日を反省する時間があるなら次に目を向けて発信を続けていきたいし、チケ代をもっと確保できるように仕事をがんばりたい。あまりへとへとにならない程度に。