ミュージカル『刀剣乱舞』江水散花雪雑感

ミュージカル『刀剣乱舞』江水散花雪を観た。初の生刀ミュ。生どころかこれまでライビュに行ったこともなかったし、配信を含め公演期間中に作品を観るのも初めてだった。初期の作品と真剣乱舞祭をいくつか観たから、経験したような気になっていただけだった。さらに言うならTDCも恐らく3rd比嘉凱旋で行ったきりの約4年ぶり。懐かしさと新鮮さが入り混じって、やや緊張しながら開演を待った。

初期の刀ミュ本丸における刀剣男士の歴史改変や元主に対する言動は彼らの性格、ひいては彼らの持つ(あるいは持たない)物語に起因していた。しかし、本丸の時系列が進むことによって刀剣男士たちの振る舞いの差は練度からも生まれるようになった。最近に顕現したもの、古参のもの、修行から帰ってきたもの。今回の6振りは錬度の差が顕著であり、本丸に来てからどのような経験を積むかによって彼らは変わっていくのだと明確に示された。あの編成はミュージカル刀剣乱舞という作品が持つ歴史の価値を発揮するものであると同時に、刀剣男士にどんな経験をさせるかという審神者の責務の重さを語るものでもある。とりわけ山姥切国広に関して。

刀ミュ本丸の山姥切国広は奇妙だ。一般的に山姥切といえば自分が写しであるという事実に葛藤し、煩悶する存在である。写しというものに悩むことで前進する性質が刀ミュ本丸の彼にはない、とまでは言い切れないが、それを超える別の問題に引きずりこまれており、性格の輪郭が変わってしまっている。内職に精を出す生活感の強いところがあるし、話し方も他の山姥切とは大きく異なる。いや、話し方についてはキャストの実力を加味するべきであるのだが、思うに刀ミュの製作陣ならキャラクターに寄せられるよう如何様にでも導くことができる。あえて異なる存在に見えるようにずらした演出が選択されていると考えられる。

包み隠さず言葉も選ばず正直な気持ちを言えば、バチクソ芝居の上手い王道の山姥切国広が見たかった。こちとら山姥切を初期刀に選んでるんだもん。山姥切が出るっていうからチケット取ったんだもん!(突然の自我) でもまあそう演出されているならそうなのだし、かなり序盤で受け入れた。作品のためにそうである必然性があるからだ。

奇妙な山姥切は、放棄された世界のメタファーだった。初期刀の刀剣破壊という経験によって“正しい”山姥切国広から切り離され、淀んだ存在。今作で放棄されたあの世界に対して刀剣男士たちは何もしてやることができなかったが、山姥切を希死観念の淵から連れ帰ることはできた。バッドエンドの任務を描く本作が失敗の物語で終わらないのは、この山姥切の存在があってのことだ。そして山姥切自身も大包平に全員を生きて連れ帰るという隊長の責務を教えたことで、かつての過ちを少しでも精算できていたらいいと願ってやまない。

 

パフォーマンスについて、水戸学の場面や江戸の町など、市中の人々が歌い踊ったりめいめいの行動をしたりという演出はグランドミュージカル(という定義であっているだろうか)を意識した、革新のそばにある民衆の描き方なのかなと感じた。一握りの武人が世を動かす様に焦点を当てるのではなく、それを普通の人たちがどう見ているか、どんな影響を受けているかをパフォーマンスで見せるという手法。先述の通り自分は初期の数作しか刀ミュを観ていないが、その中にはこういった民衆の描き方はなかったように記憶している。もしかすると直近の他の作品では用いられていたのかもしれないけれど、列強と肩を並べるにはどうすればいいかと検討するタイミングの江戸を描くにあたって、そういった欧米のイメージを持つ演出をするのはぴったりだと思った。



最後に刀剣男士について特に書きとめておきたいことを細々と。
兼さんがかっこよかった。兼さんがかっこよかった! 登場シーンだけでチケ代分の感動を得た。馴染みの刀がいてくれる安心感。いろいろな刀剣男士たちの元主への愛情のあり方を見てきたけれど、兼さんはすごくいい視点にたどり着けたのだなと思った。観劇当日、耳のチューニングが最後まで合わなくて(よくある)歌っている言葉の細部が聞き取れなかったので、早く歌詞と照らし合わせながら聞きなおしたい気持ち。みんながばらばらになっていく中で副隊長的にフォローするのが上手くて、門外漢なりにもそりゃあ副長の刀だもんなあと思って泣きました。あと、二部の衣装の股下が5kmあった。

大包平大包平!!!!!という感じで期待が十分に満たされる気持ちよさだった。声がでかい!!! そしていかにも太刀!!!な大振りだけど無駄のない殺陣が爽快だった。肥前くんとの2部デュエット曲、なんかびっくりしてるうちに終わってびっくりした。2部の曲の振り幅もどんどん大きくなるのだな。そんな肥前くんは背中丸出しで二度びっくり。

 

南泉は今回、刀剣男士の人間を愛してしまうという側面を大きく担う役回りだった。それも、例えばジョ伝の長谷部が恋慕にも似た深い愛情を元主に抱くのとは異なり、一瞬の共闘から友情に発展するという人の姿を得てからの愛だ。刀剣男士にとって、人間への愛情が必ずしも良い方向へ傾くとは限らない。それでも心を捨てず、歴史や人間に向き合う彼らだからこそ、われわれも彼らを愛してしまうのだろう。

小竜くん、どんな刀かほとんど知らなかったけどすごく好きになれた。黒衣ってどんなシステムなんだろうと思ったら本当に黒衣だった。あの衣装もかっこよかったな。マスクをしているのもこのご時勢違和感がなく、長田さんの声の表情と兵藤さんの美しい所作でひとりの刀剣男士が確かに存在していた。最後までこれ以上のアクシデントなく駆け抜けられますように。


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