「最高の人生」に向き合う/FULL MOONファイナルのライビュを観た

4年ほど人生をやめていた。間違った選択をして、この先の人生がおしまいになった。と思ってきた。やり直したい、でもそれはできないから人生をやめたい、名実ともに終わりにしたいと思ってきた。

いちばん落ち込んでいるときは、当時の推しの映像を流していないとご飯も食べられなかった。表面的な暗い気持ちは永遠に続くものではないので、とりあえず元に戻って暮らしてきたけど、ふとしたときにおしまいだと思うのは変わらなかった。バイトや仕事をしたり、恋人と過ごしたり、その時々の推しのことを考えたり。目の前の物事に没頭している最中は楽しかった。でも結局は、慰めがないと食事のできなかった頃と同じだ。一時停止ボタンを押すと、人生がおしまいなことを思い出す。人生のことを考えないようにしたかった。執着するものが常に必要だった。

少し前に、会えるタイプの推しができた。ここぞとばかりにその光にすがって、目をくらませてきた。お金を使ってそれなりに現場に入って、感想を手紙にしたためれば一時停止の時間がさらに減ったし、メイクや服で装ったり筋トレをしたり、置き去りにしてきた自分の身体を強化することもできた。でも、推しに関わる物事のために命を削って光を得ることに限界がきた。体力的にも、精神的にも。金銭面でも底が見えていた。やりすぎた、疲れたと思った。もうこういうふうには誤魔化せないだろう。人生を再開しなくてはいけないことに薄々気づいていた。

それが今年の9月。その直後にザ湯を観た。いまは経緯を省くけれど、そこからハイローにはまってLDHに出会った。3ヶ月あまりを大変に楽しく過ごした。自分の命を削らなくても、十分な光が手元に届く。DTCキャストを中心に気になるひとがいくらでも出てきて、自分の人生はおしまいだと感じる暇がない。それでもどこかで、この中からまた命を削るための推しを定めて、人生を使い潰そうとするんじゃないかと思っていた。

12月。登坂広臣さんのソロツアーファイナルがLDHTVで中継されることを知る。観ようと決めた。理由は単純で、登坂さんの音楽が好きだったから。とりわけ上京してからあまりテレビを見なかったこともあり、恥ずかしながら先日まで三代目のことを知らなかった。登坂さんは「ひとの推し」でしかなく、話には聞いているけど見たことはない先輩のダチ、みたいな距離感。ハイローを観てからはじめて三代目を聞くようになった。FUTUREをシャッフルしていて、LUXEめっちゃ好きじゃん!?となって、それからは登坂さんの、特にアップテンポな曲をよく聞いていた。

10月下旬。登坂さんがどんなひとなのかぜんぜん知らないうちに(いまもよくは知らないのだが)、ローリングストーンのインタビューを読んだ。自分の表現が自分の心とイコールであることを表明するのは、とてつもなく怖いことだと思う。そうできる彼を尊敬した。と同時に、音楽に対してストイックで、ボーカリストとしては近寄りがたいイメージもついた。バラエティで笑っている姿を見ても、その印象はずっと残っていたと思う。


今日、FULL MOONのライビュを観た。終わりについて話す登坂さんを見て泣いたけれど、その時点では映画や舞台を観るときと似た、どこか遠い揺さぶられ方だった。でも、END of LINEを歌い出せなくなる姿にLUXEのイメージが剥がれる心地がして、何度も聞いたはずのHEART of GOLDが突然深く届いた。

魔法は使えないと登坂さんは言った。そうだと思う。魔法じゃない。登坂さんの心がそのまま入った音楽が、現実的なやり方で、わたしを幸せにしてくれた。

自分の心を揺さぶるものはフィクションの中にしかないと思っていた。人間が発する感情ののった言葉を、活字や作中の役を通さずに受け取るのは簡単じゃない。できることなら身をかわしたいと思ってしまう。登坂さんの歌詞は登坂さんの心。それが登坂さんの声でここまで届いた。かわせなかった。かわす必要がなかった。少しも怖くなかった。ものすごく久しぶりに、推すとか推さないとか、命を削ること、どうやって目をくらますための光を得るか、そういう次元を離れて、感情を受け取ることができた。

中継が終わって改めてEND of LINEの歌詞を読んだ。もう一回泣いた。止めていた人生を再開するなら今だと確信した。わたし、やります。うまくできるかはわからないけど、ここからもう一度、登坂さんが言うように「最高の人生」に向き合いたい。

FULL MOON、観てよかったです。