レッツゴー最高の人生その3

2024年をわたしのパーフェクトイヤーにするというよくわからんゴールを設定してから、この1年間の人生振り返りブログも3回目を迎える運びとなった。5年計画だったので早くも折り返しである。何をもってパーフェクトとするかというのは当時の自分がぼんやりとしか書いていないのでもはや後付けするしかないのだが、5年後の自分が幸せであってほしいと願っていたような気がする。
2021年はかなり幸せだった。仕事は楽しく(もちろん四六時中悪態をつきながらやっているが、それに見合う評価を受けてがしがし稼いでいる充実感がある)、趣味も楽しく、何よりかなり元気だった2018年並みに観劇をすることができた。

最近よく想像する。少なくとも今から5年後の自分は今とまったく同じ暮らしをしていても十分幸せだろうということ。そこそこ稼いで好きなだけ舞台を観れさえすれば特筆すべき不満は感じない。そういうわたしであるだろうと思う。しかし、20年後30年後には自信が持てない。親は元気でいるのか? 元気でなければ何かしてやれているのか? 友達も恋人もいない中年の一人暮らしで胸を張って楽しいと言えるのか? 周囲から掛けられるかもしれない不躾な言葉や視線に耐えられるのか? 起こりうる問題を仮定することは出来るが、それらを抱えている自分も、具体的な解決策も何も浮かばない。不安未満の漠然とした疑問だ。

一方でもっと遠い未来については具体的な目標が生まれた。死ぬぎりぎりまで一人で劇場に行って帰って来られる体を維持するということだ。余生を過ごす段になって知らない人々と同じ建物で暮らすのも避けたいので、ケアホーム的なところには入らず、自活を貫いて人生を締めたいなあと思う。今だってもう2日連続で劇場や映画館に行くのがしんどくて、なるべく週1に分散させるように予定を組んでいるというのに、果たして達成できるものだろうか。

去年おととしは具体的に行動や考えの変化についてまとめていたが、今年はマジで記憶がない。日に日に過去のことを思い出さなくなっていって、それは過去のことを思い出せないことになった。前が思い出しすぎの記憶しすぎだったと思うのだが、思い出そうとしても思い出せないことは多少不便だ。とはいえ今年はこれ含めて19本も記事を書いたようで(暇だったのか?)、その時々で考えたことはブログを読み返せば大体分かりそうだ。助かる。ありがとう過去の自分。

昨年末に立てた今年の目標は、会いたい人に会いに行くだった。終わってみれば絶対に会いたいと感じる人はそこまで多くならなったが、状況と体力の許す限り外に出て行けたことには満足している。あと、1年ぶりに帰省して家族に会えたのもよかった。帰省ガチ勢だったわたしがこんな感想を言う日が来るとは…。

来年の目標はこの3年の中で最も具体的に考えてある。
PCを買い替える。ロボット掃除機の導入を検討する。プールに通う。今年の下半期、観劇したあとに長いブログを書く気力がなかったことを反省して、来年はとにかく早くTwitterでいいから確実にリアクションを取る。
これまでの3年間で人生は大きく方向転換し、快方に向かっているような気がする。人生という大きい部分から生活という細々した部分に踏み込んで、現実を改良する1年にしたい。