「無題 ―1[MONO]―」感想

アンドロイドをモチーフにした人肌で善なる物語。作中で描かれたどんな悲しみにも必ず救いが用意されていて、話の流れに必要だったから悲しませました、となおざりにされることがない。クミコとレイはもちろんのこと、熊谷が捨てられなかった「ゴミ」やハヤトの欲しかった「ご苦労さま」に至っても優しく回収される。多くの人がああ面白かったと穏やかな心地で帰路につくであろう、ほっと安心できる作品だった。
現在からはじまって過去を回想する形で物語が進み、最後にまた現在に戻ってくるというベーシックな構成だが、博士が実はアンドロイドであることが明かされ、クミコの動作障害が深刻化するあたりから、この話の「現在」はいつなのだろうという不安が生じてくる。冒頭のクミコは博士を知らなかった。すなわちいずれかのタイミングで初期化されているわけで、それはレイとの決別を意味しているのだ。しかしその不安は考えうる中で最も幸福な別れが語られることで拭い去られる。そして、予想していたよりもずっと長いスパンで物語が語られていたことを知ることになる。(改まって書く必要のないまったくの蛇足ですが、博士のギターがずいぶん使い込まれていると指摘する冒頭のセリフについて。ギターに加工をして古びていることを示すのではなく、登場人物がそうだと口に出すことでその状態であることをみんなで納得するというのが、これが演劇のフォーマットなのだ、と感じられて面白かった。もしもこれが映画なら、古びたギターが物として出てきた時点でこれから語られる過去がどのくらい前なのかある程度まで見当がついてしまうかもしれないし。)
クミコとレイの再会のあり方についてはともすると好みが分かれるかもしれないが、博士すら彼がレイだと気づいたというのがクミコの主観に頼らない証のようで、個人的にはその確かさがかなり好ましかった。白い照明が2人にはっと当たるという素直でまっすぐな演出は、ドラマチックが可視化されるように感じてああいう瞬間に演劇ってやっぱ楽しいなと思う。
以下雑感として。秋沢健太朗の、セリフのときの低くぶっきらぼうな声とは大きく印象の異なる高めで繊細な歌声は、レイが内心抱いている恐れをにじませているようだったし、田村良太がシンプルな気持ちを誰よりも楽しげに朗々と歌うさまは直也という人物にあっという間に愛着をわかせ、彼がいなくなったことを登場人物たちと一緒に心底悲しませてくれた。石田隼は狂言回しとしてセリフを丁寧に観客へ届けつつ、特に終盤では娘のように思うクミコへの愛情がたっぷり声に乗っていて唸らされた。好きなシーンはクミコと映画館に行ったレイがクミコのほうが気になると歌うところと、色とりどりの紙ふぶきがたくさん降ってくるところ。あとクミコと博士が手を振り合うときにまったく同じ仕草をしているところ。
One on Oneは今回初観劇だったが、9月の公演も楽しみだなという気持ちでいる。