レッツゴー最高の人生その1

2018年12月23日、登坂広臣さんによって「最高の人生」という概念がもたらされた。それを受けて人生に向き合うと宣言したものの、具体的に何をすればいいか見当もつかない。

ほしいものがなかった。会いたい人も、食べたいものも、行きたい場所もない。推しに会いたい、現場に入るためにチケットを確保したいという気持ちは都度それなりにあったものの、それらは推しの人生についていくことで借りものの充足感を得るだけの行為だ。自分の人生にまつわる自発的な欲求がわたしにはなかった。いったい何がわたしの求めるもので、何をもってして最高と言えるんだろう。

わからないなりにも期限はあったほうがいい。ひとつのゴールとして、2019年からの5年計画で2024年をわたしのパーフェクトイヤーにすることにした。そういうわけで、この文章は1/5の成果報告であり、2019年のLDHごとで特に影響を受けたものをピックアップしつつ、最高の人生に向けてのたうちまわった1年目の記録とする。


3月初旬。登坂さんの俳優業を見届けるために「雪の華」の上映館へ足を運んだ。この頃は今年一番の落ち込みを行っており、出社しては机で泣いていたのだけど、気持ちを強く持って朝一の上映回を取った。本作においてストーリーは華奢な器として存在し、そこになみなみと注がれた人を好きになるという心の動きをゆっくりと味わわせる。好きな映画だった。映画館を出たらあっけらかんとした快晴で、もう大丈夫と思ったのを覚えている。

ここぞというときに自分の綿引悠輔を逃さないように助けて!の発声練習をしよう、というのは以後ことあるごとに口にしてきたジョークだが、「声出してけよ、声!」は実のところ身に染みたセリフであった。それを信じ込んでというわけでもないけれど、今年は思いつく限りの人に声をかけて、迷いを感じたあらゆることの相談に乗ってもらった。手帳を見返すと4月以降はほぼ毎週誰かしらに会っていて、それまでの約2年間、プライベートで美容師さん以外と話さない生活を送っていたのが嘘みたいだ。


2019年のいちばんの宝といえば、佐野玲於という役者に出会ったこと。きっかけは3月末に観た劇場版「PRINCE OF LEGEND」。ドラマを完走した者のひとつのノルマのつもりで気軽に観に行ったわけだが、さのれおくんのほんの一瞬の照れのお芝居に、決定的に撃ち抜かれてしまった。そこから観た「ハナレイ・ベイ」は、よいお芝居とは何か?という問いに対する答えを明確にしてくれて、今年の1本になっている。さらに11月初旬のシネファイ3「その瞬間、僕は泣きたくなった」より「GHOSTING」で、映画がすごく好きになっていることに気付かされた。わたしが好きだったのは劇場に閉じ込められてフィクションに没入する行為だったはずなのに、いつのまにか映画という表現形式に確実に惹かれていった。

お芝居をするひとに注目しがちな傾向もあって、LDHのひとたちの出演作をチェックするために映画館へ足を運ぶ機会が格段に増えた。上映前の予告等から自分で興味を持ったタイトルも少しずつ観はじめて、趣味で映画を観るひとになっていった。観客人口が圧倒的に多いことから、舞台と比較して映画ははるかに感想の共有がしやすい。人と映画の話をするのが楽しい年だった。


映画の話ばかりだな!と思われるだろうが、まだ続く。今年いちばん泣いた作品といえば6月上旬に観た「町田くんの世界」である。嗚咽は止まらずハンカチで顔を拭うのも追いつかなかった。どうしてあんなに泣いてしまったかゆっくり考えると、町田くんと触れ合うひとびとを見て、自分もこうなりたい/こうありたいという気持ちになったからだと思い当たった。なりたいけど自分には無理だろうと、手の届かないその遠さに泣いていた。手に入らなくて泣いているのは、それがほしいからだ。そうか、と思った。自分のほしいものが、町田くんのおかげでようやくわかった。

こうなりたいという願望の先は登場人物のみに留まらなかった。大昔、自主映画を撮っていたことがある。当時は団体制作が面白くてやっていただけで、映画に興味があるわけではなかった。ところがここに来て突然、こういうふうに映画が撮れたらどんなに楽しいだろうと思った。光の扱い方、世界の切り取り方、役者のお芝居の捕まえ方にチャンネルが合うようになって、その手つきに感動していた。今から映画を撮る側に回るのは難しいかもしれないけれど、せめてその衝撃を言葉にしたいと思えた。


町田くんの世界」が未来へ視線を向ける映画だとしたら、同じく6月に観た「きみと、波にのれたら」は過去に向き合わせる強制力を持った作品だった。上映中はひたすら辛くて泣いていた。もっとファンタジックでハッピーな結末を求めていたのに、わたしのこれまでは映画みたいには解決しないけどこっちはこっちでがんばります!と曖昧にして劇場を去るつもりだったのに。この世には正攻法しかない、わたしがやらなければわたしの時間は進んでいかないという事実を丁寧に語られて参ってしまったし、感想をまとめた時点ではあまり納得していなかった。

これまで漠然と生きてきた時間をどう扱うかにあたり、周囲に多大なる迷惑をかけた自覚がある。他者を疲弊させ、幻滅させ、あまつさえ大切な人を泣かせてしまった。でもこれまでのことには1年間できちんと整理をつけられたと思っている。あと、秋以降の話だが、ストレス由来っぽい全身の蕁麻疹と戦いつつ転職活動を行って次の職が決まった。きみ波でわたしがやるしかないのか…と思わされなかったら、状況を変えられなかったかもしれない。今はもうBrand New Storyをさっぱりした気持ちで聞くことができるし、大好きな曲になった。


プリロワを始めたのは7月下旬だった。この頃は今年2番目の落ち込みをやっており、夏休みと称して会社を少し休んでぼんやりしていた。憂鬱の原因から一旦意識を移したくて、夢中になれなくてもいいからせめて思考の対象が手元にほしいとプリロワに頼ったのだった。女性向け恋愛シミュレーションゲームなど、自分の人生から最も遠いものの一つだと思っていた。美しく造形された複数のキャラクターに謂れなき好意を向けられることは、自分にとってエンタメとして成立しうるものではなかった。が、プリロワは想像上の恋愛ゲームとは違っていた。最初に親交を深めた生徒会長との関係の移り変わりを逐一ツイートしていくことで、当初の狙い通り疲れた情緒は落ち着いていった。それだけでなく、プリロワの丁寧なシナリオに生きる王子たち、とりわけ天堂光輝はわたしに自己肯定感をわけてくれたし、他者を慮る練習をさせてくれた。あと、プリロワを始めたら8億年ぶりに現実に恋人ができた。

永続的にプリロワに助けてもらうことは難しいかもしれないけどどうか、もう少しここにいてほしい。そしてシナリオライターさんには小さな幸せがたくさん舞い降りてほしい。プリロワについてはいずれ別立てで追記できたらと思っている。


9月。RAISE THE FLAG参戦のため東京ドームにいた。初めてのドームライブだったが、パフォーマンスと会場の熱気に身を任せたら何の抵抗もなく楽しめた。中継越しにではなく、同じ空間で登坂さんの声を聞いていたら、叫び出したくなった。あの日登坂さんが最高の人生をと言ってくれたから、今日ここに来ました、と。何をどう頑張ったとか、そういう報告がしたいわけじゃない。なんなら登坂さんには届かなくたっていい。登坂さんの言葉を受け取って、この世のどこかで人生をやっている人間がいることを示したかった。この1年で、登坂さんのことを前よりよく知れたかというと、そうでもなかったけれど、でも、いつも変わらず登坂さんの音楽が好きだ。これからも好きだ。

そしてRTFではもう一つ、1年を振り返るには欠かせないことがあった。今市さんの「幸せになってください」である。そう言ってくれるらしい、というのは事前に聞いていて、あまりにも眩しい祈りに困惑していた。しかしながら、ひとたび今市さんの声とともにテープが降り注ぐ様を眺めてしまえば、「はい!」と答えざるを得なかった。あんなの承諾するしかないでしょう。そういうわけで、最高の人生を目指すとともに幸せになる道も模索することになった。だって頷いちゃったから。しかしこのことはじわじわとわたしを苦しめた。10月以降、日々状況は悪くなる一方で、どうして幸せになるなどと身の丈に合わない約束をしてしまったんだろう、最高の人生という概念を知らなければこんなに苦しまなかったのにと、2人のボーカルを恨みさえした。ラブとは、ドリームとは、ハピネスとは一体なんなんだ。答えは出ていないけど、幸運にもおみりゅうドームツアーのチケットが取れている。そこでまた何かを示せるように、あるいは新しいヒントを見つけるために、諦めずに考え続けると思う。


12月。公私のごたごたを整理しきれないまま少年クロニクルのライビュ会場にいた。開演してからも薄っすらと他のことを心配していたわたしの横っ面を、さのれおくんの咆哮とパフォーマンスがめちゃくちゃに張り倒してくれた。ありがとうさのれおくん。今年最後の現場はとびきり楽しいものになった。少クロの中で、ひとつ脳裏に焼き付いていることがある。アンコールのYMCAで片寄さんが「なんでもできるのさ」とこちらに親指を立てたシーンだ。そっか、じゃあできるわ。実際にできた。そこから2週間で万事すり合わせて、穏やかにこの振り返りを書けている。

蓋を開けてみれば、1年を通してわたしの一番近くにいてくれたのはGENERATIONSだった。ハイペースなリリースとテレビでのパフォーマンスは疲れた日々の楽しみになっていったし、個人の俳優活動は思いもよらない作品たちに出会わせてくれて、バラエティではくだらないやり取りにシンプルに癒された。そんな2019年を彼らの晴れ舞台で締められるのはわたしにとってささやかに運命的であり、幸福なことだと思う。紅白出場おめでとう。


2019年は土台を固めるのに大半の時間を費やした年だった。物事を動かすのには想像以上のパワーが必要で、結果的にキャパシティを超えた活動を己に強いてしまった。けれど、動いたことも向かっている先も、間違ってはいないと思う。そして来年の目標地点は既に定まっている。1年前と比べたらそれだけで涙が出るくらいの進歩だ。次の1年はもっと確かに「最高の人生」を描けるようになり、もう少しだけ周りの景色を楽しめるようになるだろう。わたしの人生は、名実ともに始まったばかりだ。